琉球王朝時代の沖縄市
琉球王国の王朝は今の那覇市首里にありましたが、越来グスクも本島中部を守る要所でした。
琉球王国の第一尚氏・第六代目の王、尚泰久(ショウタイキュウ)は王位につく前、越来王子として越来城に居城していた。

琉球国統一
尚巴志(ショウハシ)による琉球国統一は実現したものの、政情はまだ不安定。
尚巴志の時代に戦功を上げた護佐丸(ゴサマル)は、尚泰久王の時代には沖縄中部地域の支配者として君臨していました。

阿麻和利(アマワリ)
そのころ勝連半島では、阿麻和利(アマワリ)が勢力を誇っていました。
尚泰久は政略結婚で娘の百度踏揚(モモトフミアガリ)を嫁がせましたが、阿麻和利の野心はとどまることを知りません。
当時中部の最大勢力だった護佐丸(尚泰久王の義理の父)が国王(尚泰久)に反逆を企てていると進言し、国王の許しを得た阿麻和利は護佐丸を攻め立て自害に追いやり、さらに国王も攻略しようと企てます。
しかし、妃である百度踏揚と家臣鬼大城(ウニウフグシク)はその謀反に気づき、鬼大城が百度踏揚を背負い、勝連城から首里城へ逃げだしました。
その後、尚泰久王は鬼大城にその討伐軍の指揮を命じ、阿麻和利を討伐しました。その功績により、越来親方として越来城主となり、百度踏場を妻に迎えました。これで、琉球王国に安泰の時代を迎えました。

銀天街
コザ十字路に大きさ1600平米に及ぶ琉球歴史絵巻と呼べる巨大な壁画にはこの歴史が描かれています。

壁画誕生の秘話
巨大な壁画が2015年1月に誕生しました。壁画制作のきっかけは、国道330号線の拡幅工事に伴い、コザ十字路にある商店街「銀天街」の入口付近にある建物が取り壊されると共に、背面ビルが現れ、景観が著しく壊れる事になりました。
「このままでは、街が死んでしまう」と強い危機感を感じた住民は、行政と何度もワークショップを持ち、大きく現れた壁を、沖縄市コザを伝える歴史壁画にすることに決めました。

アイデンティティ
「忘れてはいけない歴史と沖縄市のアイデンティティ」をテーマに据え、2014年3月に壁画の制作が始まり、天候不良や台風に見舞われながらも、職人が一つ一つ手描きで作成し、約10ヶ月に渡ってコザ十字路の巨大壁画は完成しました。

今も残る王朝時代を探る
水辺公園横の坂をしばらくのぼると、越来グスク跡公園があります。
現在では首里城や今帰仁グスクに見られるような城壁などはありませんが、標高80mの住宅地の高台にあり、沖縄市の街並みを一望することができます。昔は今より高い場所にあり、コザ十字路も今より低い場所にあったので、太平洋まで見えたそうです。


コザの琉球王朝物語越来グスク
路地の風景を楽しみながら、地元の住宅エリアを通り抜けると、越来の白椿の遺跡に辿り着きます。 尚泰久が越来王子として越来城に居城していた頃、村の娘世利休(セリキュウ)との間にできた子供の誕生記念に白椿とミカンの木を植えたと言われています。長い年月の間に両方も枯れてしまいましたが、白椿は挿し木で別の場所に殖やしてあったものを当地に戻しました。現在でも、2月頃には白い花を咲かせています。
沿道を回ると、壁画近くの越来城水辺公園に戻ります。公園中央には「比謝川」が流れており、いろいろな植物や、自然を眺めながら散策ができます。
本協会は「コザの琉球王朝物語越来グスク」をテーマにしたまちまーいコースを用意しております。地元のガイドと一緒にさらに歴史と文化を触れてはいかがでしょうか。