世界遺産に登録されているうるま市の「勝連城跡」。かたや無名の沖縄市の「越来グスク」。この二つは実は不思議な縁でつながっており、ある人物が深くかかわっています。
今回は、うるま市と沖縄市のグスクなどを動画で紹介!
正直、勝連城も越来城もまぁまぁ勉強したので分かったつもりでいました(あるあるです)
けど、動画を見て「あ!」と思うところや気づかされる箇所があったり知っている方でも楽しめて、さらに分かりやすい。さすが賀数さんです。
また沖縄市出身のマルチタレントで歌手のMICHIさんの受けも、新鮮な反応がたまりません。
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うるま市と沖縄市のグスクなどを動画で紹介
【沖縄市・うるま市】 「おきなわの歴史・文化体験」周遊促進事業で作成された動画です。 ・沖縄市(#3知花グスク、#4越来グスク、#5エイサー会館) ・うるま市(#2勝連城跡、#1きむたかホール) 沖縄市とうるま市の歴史文化について新たな魅力を再発見し、 周遊ツアーを体験する動画です!
案内人は歴史研究家の賀数仁然(かかずひとさ)さんと沖縄市出身のマルチタレントのMICHI(みち)さん
KOZAWEB:https://www.kozaweb.jp/ 沖縄市観光物産振興協会:http://koza.ne.jp/
【きむたかホール編】【勝連城址編】
首里王府から見ると、より重要だったのは越来グスクの方ですが、王府とは別な勢力で築き上げたお城としてはもしかすると県内最大の規模だったかもしれません。そんな栄華を誇った勝連グスクがなぜ滅んでしまったのか…。ローマ帝国やオスマン帝国の貨幣が出土するほどの交易ルートを独自で持っていた勝連グスクは、逆に力を持ち過ぎた存在だったのかもしれません。 王府からは出る杭であり、目の上のたん瘤的存在になっていきました。阿麻和利は逆賊だったのか?中城(グスク)に住む護佐丸は謀反を企てていたのか?真相に迫りつつ、分かりやすく解説しています。
沖縄市・うるま市歴史文化体験周遊ツアー #1 きむたかホール編
沖縄市・うるま市歴史文化体験周遊ツアー#2 勝連城跡編
【知花グスク編】【越来グスク編】
そして、本島のほぼ中央に位置していたロイヤルファミリーの居城だった越来グスク。
王子はのちの王様になったり、手柄を立てた武将が按司(王家に次ぐ称号・地位)になり治めるなど、特に第一尚氏と第二尚氏の歴史の転換期ともいえる時代が皮肉にも越来グスクや城下が栄えた時期でもありました。
一体、どんな人が住んでいたのか?なぜ城壁も無くなってしまったのか?のちの世で、越来を始め沖縄の人々のためにあるモノが使われ今も人々の日常を支えている越来グスク。越来グスクを知ると、この「越来」という地理と位置が琉球王国時代でも、現在でも沖縄にとって大事な場所であることを伺い知ることができます。
沖縄市・うるま市歴史文化体験周遊ツアー#3 知花グスク編
沖縄市・うるま市歴史文化体験周遊ツアー#4 越来グスク編
【エイサー会館編】
歴史が落ち着くと、人々は生活の中に娯楽を求めます。日本でも、戦争の少ない平安時代や江戸時代はそれぞれ大きな文化が生まれますが、ここ沖縄でも同じです。
琉球王国の内政が安定し始めると組踊や琉球音楽、そして門付き芸と呼ばれる大衆芸が首里から各地に広がり様々な歌や踊りが広がっていきます。そして「エイサー」のもととなる踊念仏が17世紀頃に生まれました。そんなエイサーを楽しく学べるエイサー会館を紹介しています。エイサー好きの人は要注意です。なぜならあっという間に時間が過ぎてしまうからです。
うーん。時間泥棒♡
沖縄市・うるま市歴史文化体験周遊ツアー#5 エイサー会館編
14世紀ごろから現代の21世紀まで。悠久の時をみつめてきた「グスク」に歴史ロマンが止まりません!
さて、勝連グスクと知花グスクと越来グスク、この3つの城に共通していた重要な人物は誰か分かりましたか〜?
そうです、沖縄市が誇るあの武将のことでした。
ぜひ動画で、その面白さを感じてください。